十二国記 戴の人物考察①~泰麒~

※十二国記「風の海 迷宮の岸」「黄昏の岸 暁の天」「白銀の墟 玄の月」の内容に触れています。ネタバレありです。ご注意ください。

※昔のシリーズ(「風の海 迷宮の岸」「黄昏の岸 暁の天」)の引用は、ホワイトハート文庫のものになります。

昨年の秋に、やっとこさ家にある本を整理して、結構な量の本を処分しました。

「白銀の墟、玄の月」が2019年に出ていて良かったです。

あと1年出るのが遅かったら、家にあった十二国記シリーズは全部売っていました。(やばかった!)

家の本を整理したついでに「白銀の墟 玄の月」を約1年ぶりに、全体を通しては何年ぶりだろうというくらい久しぶりに、戴のお話を全部通して読んでみました。

2019年に初読したときは、昔のシリーズは読み返していなかったし、熱量だけで読んだので細かなところは端折りつつの感想になりました。

▽その時に書いた感想

とりねこブログ 

ご無沙汰ぶりの十二国記の新刊。 通勤の合間にちょっとずつ読み進めたのですが、やっぱり小野不由美先生の十二国記は面白い! …

 

 

琅燦のことなど、当時は自分なりの精一杯の解釈をしたつもりだったのですが、まだ半信半疑なところもあったので、もう少ししっかり読み込みたいなあと思っていました。

結局コロナ禍もあって、読み返すまでに1年もかかってしまった。(わたしの日常のペースはそれくらいゆっくりなのです。本を売るのも3年くらいかかっている)

 

今回から3回に渡って、戴の人物考察をしていきたいと思います。

第一弾は、戴の麒麟、泰麒(たいき)です。

※注意書き

私は十二国記シリーズは原作(小説)オンリーです。アニメは全く見ていません。

 

泰麒

ご存知、蓬莱出身の胎果で麒麟でもめずらしい黒麒麟(黒麒)。

蓬莱での名前は「高里 要(たかさと かなめ)」で、その名にちなんで驍宗からは「蒿里(こうり)」と呼ばれています(蒿里は驍宗しか呼ばない名前なのもなんだか特別感があって良いですよね)

 

十二国記はオムニバス形式の物語なので、誰が主人公というわけではないのだけれど、やっぱり蓬莱出身の陽子(いちばんはじめの「月の影 影の海」の主人公)と泰麒は特に扱いが別格という気がします。

それは、この二人がいちばん読者に近い立ち位置(蓬莱の現代日本の元高校生)にいるからかもしれません。

 

特に泰麒は、十二国記ゼロとも言える「魔性の子」から登場するので、いちばん息の長いキャラクターです。

 

泰麒の本質は果たしてどうだったのか

10歳ごろの蓬山に戻ってきたころの泰麒は、控えめで周りの様子を伺う子どもでした。

これは、彼の養育環境も大いに影響しています。異質な存在だった泰麒は、蓬莱では虐待といってもいい扱いを受けていました。

だから泰麒を知る人の10人中8~9人は「無邪気で純真な子ども」として見ていました。(ちなみにこの10人中1~2人に入らないのが、驍宗や琅燦)

読者の多くもそういう印象だったんじゃないでしょうか。わたしもそんなところがありました。

 

そんな泰麒が、本来いるべき場所へ戻ってきて、乳母代わりの汕子や、女仙、戴の人たちに大事に大事に接してもらえるようになってほんとうに良かったなあと思います。

一方、当の泰麒は自分が麒麟として至らないことに申し訳なく思っていて、なんて謙虚で控えめな良い子なんだろうと思う人も多かったかもしれません。

だからこそ、「白銀の墟 玄の月」での泰麒を見て「こ、これがあの泰麒か……!?」と戴の人でなくても思うくらい策士になってびっくり仰天だったのですが

果たして泰麒はもとから李斎をはじめ戴の多くの人が思っていたような、純真無垢なお子さんだったんでしょうか。

 

いや、待てよ。

それって誤解だったんじゃんないか。

少なくとも、驍宗はそうは見ていなかったし、琅燦もそんな目で見ていなかった。

 

堪え忍ぶに不屈、行動するに果敢、それが戴の気質というものであろうと驍宗は思っている。だが、あの幼い麒麟はそれとは真逆だ、と言われていた。驍宗の評価は異なるが、周囲が「真逆だ」と認識してしまいがちなのも無理はない、という気がした。

(「白銀の墟 玄の月」第4巻 P18より引用 太字は筆者によるもの)

 

「言いようによっちゃあ、饕餮以上の化け物なんだよ……あの麒麟さんは」

(「黄昏の岸 暁の天」上巻P199(ホワイトハート文庫)の琅燦の台詞)

 

 

もともと生まれながらに持っている気質と環境によって作られるものが、相互に組み合わさってその人ができます。

少し前に、モンゴメリの「丘の家のジェーン」という物語を紹介したときにも触れたけど、その人のその人らしさが発揮されるのって、周囲の大切な人たちに認められる環境がとても大切になってきます。

 

泰麒はずっと蓬莱で、自分を押し殺すようにして生きてきました。

主に祖母から異質扱いされて(胎果で麒麟でもある泰麒が、蓬莱では異端児扱いされるのは至極当然であるし、ある意味で祖母は直感的にそれを見抜いていたとも言える)、周りの人と馴染めないことで母を苦しめていることを知っていた泰麒は、ずっと自分を後ろめたい存在だと思っていた。

自分がそのままの自分でいいと思えない環境って、いうまでもなく過酷です。しかも、そこで生まれ育った泰麒は、それを当たり前として生きてきた。

いきなり戻ってきてみんなが泰麒のことを大事にしてくれても、やっぱり戸惑うし、こちら側の世界の当たり前を知らないで育った泰麒には、すんなり馴染めないのも当然です。

でも「帰りたい」という気持ちを持つのも悪いなと思ってしまう、周りに気を遣ってしまう。(その気持ちを打ち明けたのは、同じ麒麟である景麒だけです)

 

それを優しさと取るか、虐待された子どもの周囲を窺う言動と取るかは、むずかしいところです。

 

でもさ、よくよく考えてみると。

泰麒って饕餮(トウテツ)を指令にしていたよね。麒麟でもそんなのめずらしい、滅多にないこと。(琅燦も饕餮は「化け物中の化け物」と評していた)みんな驚いていた。

饕餮を指令にできるくらい、泰麒は実はやり手の麒麟だったんじゃないか。

周りの人たちは彼を何も知らない、こっちが守ってあげないといけない子どもとみなして関わっていたけど、それは見た手違いだったんじゃないでしょうか。

 

泰麒自身は、実際子どもだったし蓬莱から戻って何も知らないのはそうなんだけど、それを良しとしていなかった。それは「黄昏の岸 暁の天」の頃からすでに描かれていました。

皆が泰麒のことを慮って、事実を隠せば隠すほど、泰麒は逆に不信感を募らせていた。

それが阿選の手に落ちる隙を与えてしまったのだけれど。

 

改めて読み返してみると、10歳ころの幼い泰麒は、すでに6年後に蓬莱から戻ってきた泰麒の片鱗を見せていたのだと思いました。

そしてすでにそれを見抜いていた驍宗は、さすが主上ですね。

 

二度目の蓬莱の体験、泰麒を強化させたもの

ただ、10歳頃の泰麒はまだ現在の泰麒ほどの力を見せるには至っていませんでした。

悲しい話ですが、阿選の手酷い行為と、二度目の蓬莱での6年間の孤独で過酷な生活が、やはり泰麒を変えたのだと思います。むしろ強化させたというべきか。

 

でも、それは単に辛い体験だけではなく、二名の大切な人との絆もあってのことでした。

一人目は、驍宗。やっぱり麒麟だから、王との絆は絶対です。記憶を失くしていても、それは彼のなかに残っていた。

二人目は、広瀬先生。詳しくは「魔性の子」に描かれていますが、「白銀の墟 玄の月」でも「先生」と呟くシーンがあります。(第3巻)

 

泰麒は項梁に、あらゆる人を疑った上でことを進めていることを話します。

そのなかには、蓬莱から救い出した李斎すらも含まれていました。

逆に泰麒にとって、絶対に信じられる人が二人います。それが驍宗と広瀬先生だったんじゃないかな。

 

そして、それは泰麒に強さを与えてくれている。ときにこれはほんとうに麒麟かと思わせるくらいの非情な強さです。

そしてその絶対的な信頼があるからこそ、蓬莱で体験したこと(穢瘁(えすい)するくらいに心身が蝕まれたし死ぬ間際までいっていた、また彼の周辺で起こったたくさんの犠牲)は、彼に前に進む強さを与えた。

阿選に裏切られたことは、周囲の彼を快く思わない大人たちと渡りあう狡猾さを与えた。

 

なんで天は戴のこんなひどい状況を放っておかれるのかと、散々戴の人たちが嘆いていますが

ある意味では、泰麒が戴の麒麟として立つためにこれ以上にないくらいの試練が与えられたのかもしれません。

そのためにかけられた犠牲は、計り知れないのですが。

泰麒はその重みもわかった上で、李斎や周囲の彼を知る人たちの想像を遥かに超えた成長を遂げたように思います。

 

「私は民にーーこの世界だけでなく、別の世界でもーーたくさんの犠牲を出してきました。無力なだけでなく、とんだ厄介者だったんです。」

(「白銀の墟 玄の月」第4巻P354)

 

泰麒はどちらの世界にいても、彼の周辺は平穏ではありませんでした。

それは泰麒自身のせいではないのだけれど、ずっと自分のせいだと思っていた。

自分がこの世界に居ていいと実感できないことほど、辛いことはないです。

 

泰麒の強さの裏には、深い哀しみが存在しています。

 

おまけ:泰麒の角はいつ癒えたのか

終盤にいろいろ種明かしをしてくれるのは、さすが小野先生といったところなのですが、泰麒の角がいつ癒えたのかは正確には明かされていません。

わたしは、驍宗と再会して天変する直前、目を合わせたときにやっと癒えたのかなと推測しました。

 

根拠①

泰麒は驍宗に関わったときに、麒麟の本性をいろいろと開花させています。

例えば、初めて指令(饕餮)を手に入れたときも、驍宗が一緒でした。

ずっとできなかった転変も、驍宗が自分の許(蓬山)を去ると知らされたときに、できるようになりました。

 

やっぱり泰麒のなかでトリガーになるのは王である驍宗が大きいのかなと思います。

憶測ですが、おそらく角はほとんど癒えていて、最後の決め手になったのが驍宗だったのではと思います。

 

というのも、根拠②に続きます。

 

根拠②

もし、もうちょっと早くに角が癒えていたら、泰麒はこんな捨て身の策を取らなくて良かったはずです。

もし驍宗に再会する前の段階で角が癒えていたのだとしたら

 

①その場で転変して驍宗のところに行けば良かった

麒麟の姿をしている泰麒を、兵士たちが止められるはずがありません。

 

②指令を使えば良かった

終盤に「指令も戻った」と表現があります。

角は、麒麟の能力の源。

角が癒えていたら、指令を使う能力も回復していた可能性があります。

 

そうすれば、わざわざ泰麒本人が手を汚す必要はなかったはずです。(そもそもそのために指令がいる)

 

③王気をたどって事前に驍宗のところに行けた

そもそも、角が癒えていたら王気をたどれます。

阿選が厳重に隠していたとはいっても、もし角が癒えていたら王気をたどって驍宗の所在を掴めたはずです。

泰麒は王宮で孤立しながらも驍宗の所在を探していましたが掴めず、弾劾が行われるその日まで、待つしかありませんでした。

 

泰麒の最後の行動は、想像以上に捨て身の行動だったんだなと改めて思いました。

おそらくあの驍宗と目を合わせる瞬間まで、角が癒える(=転変できる)確証は無かったのではないでしょうか。

泰麒はすごーくたくましくなったけれど、きっととても無理もしていたと思います。

 

 

結び

いや、そりゃあ18年かかるはずですよ!(新刊が出るまでね)

ちゃんとここまで成長した泰麒を書いてくれた小野先生に感謝です。

生きているうちに読めてよかった。これをリアルタイムで読める幸せ。

 

次回は、初読の感想でも熱く語ったあの人です。がんばろう。

続けてお付き合いいただけると嬉しいです。ここまで読んでくださってありがとうございました。

 

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