十二国記「白銀の墟 玄の月」ざっと感想と、琅燦について考察(ネタバレあり)

小説
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ご無沙汰ぶりの十二国記の新刊。

通勤の合間にちょっとずつ読み進めたのですが、やっぱり小野不由美先生の十二国記は面白い!

というわけで、熱が冷めないうちに感想を書いておこうと思います。

※長いです。ネタバレありです。

 

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前振り

泰麒がやっと蓬莱から戻ってきたところで、ずっと待たされました。

十二国記はそんなに熱烈なファンというほどではなかったんだけど(ほんとうに好きな人はそれが伝わってきて、その熱量には敵わないと思う)、なんとなく手に取って読み始めたら「なんだ、これ。面白い!」と思って、結局全巻揃えてしまった人です。

 

後にも先にも、トイレに行くのもごはんを食べるのも惜しんでページをめくったのは十二国記がはじめてです。(トイレには行ったほうがいいよ

 

でも「戴はこれからどうなるんだろう?」と思いながらも、長らく続編が出なかったので、そろそろ揃えた本を手放そうかなあと思ったところでの、まさかの新刊。しかも待ちに待った戴のお話。

 

ものすごくめずらしく、買ってしまった。買って良かった……これは図書館で悠長に待っている場合じゃない。

全部で4巻ですが、ものすごくボリュームがあって、読んでいるこっちも最後まで「どうなるんだろう」と手に汗握りながらハラハラとしました。

 

正直、何度も騙されました。すごいです、小野先生!(わたしが素直すぎるからか)

 

どうでもいいですが、十二国記でわたしのお気に入りは珠晶です。いろんな意味でかっこいい。麒麟をひっぱたく王様は彼女だけだろうな。

 

ざっと感想

泰麒が、とってもとっても、成長された。

なんというか、泰麒はいろんな意味で不遇すぎる子で、蓬莱でも虐待に近い対応を受けているし(虐待と言ってもいいレベル)、やっと戴に戻って居場所を得たと思ったら、あっという間に阿選が行動を起こして、また蓬莱に戻される(戻されるという表現は正確ではないんだけど)し、蓬莱に戻ったら戻ったで薄幸だし……

不遇というのは泰麒のためにある言葉じゃないかというくらい不遇です。

 

陽子だって蓬莱から慶に来たときはそれはそれはそれは大変だったんだけど、泰麒はもう何度もあっちに流され、こっちに流され、と翻弄されて、やっとこさ戻ってきた戴でも絶望的なところから、ほんとうにものすごく細い希望の糸を紡いでいくような作業をしないといけない。

なんだろう。胎果の宿命なんでしょうか。胎果出身の子は、ざっくりいってみんなヘビーな過去を持っている感じがします。

 

いやいや、そもそも十二国記に出てくる人はみなさん生やさしい境遇で生きているわけではないんですが。

 

でもなんというか、これだけの体験をしたら絶対こころが歪んでしまうよね、と思うだけの体験を経て、むしろそれが強さに繋がっているというか。それが王だったり麒麟だったりする所以なのかはわからないけれど。

 

あの泰麒が!? と思うことを次々としてくれるので、気分は子どもの成長にびっくりするお母さんです。(たぶんそれ、泰麒のことを知っている戴の人みんなに言えることだと思う)

 

3巻かけてやっと主上の居どころを李斎たちが掴むのに、7年間サバイバルして自分から生還する驍宗様とか、麒麟なのに自分から剣を振り回して会いに行っちゃう泰麒とか、なんなんだ、この人ら! と思うほど予想の斜め上を行く展開に、ほんとうに最後の最後まで目が離せませんでした。

 

驍宗様が「蒿里」と呼ぶところが好きすぎて、あのシーンは何度も読み返してしまいました。なんか、驍宗様しか呼ばないというのもポイントです。何度もまた泰麒の前でその名前を呼んでほしいなと思っていたので、何年も待った甲斐があった。感極まるっていうのはこういうことを言うんだ。

 

その後の展開は、最後のページに一文であっさりすぎるほどあっさりなのがまた十二国記らしく。

 

荒廃して阿選に逆らえない風土になっていても、実はひっそりと反抗している人たちはやはり確実にいて、そういうのが少しずつ点と点が線で繋がるように拡がっていって、でもやはり行動を起こすとそこには多大な犠牲がつきもので。

 

戴に王と麒麟が帰還したのは喜ばしいことなんだけど、そこにはたくさんの人の犠牲があることも、味方となってくれた人にも容赦ない描写があることも、十二国記らしいと思いました。

 

琅燦について考えてみた。

今回、いちばん謎だったのが琅燦(ろうさん)です。というわけで、今回は琅燦について考察してみます。

阿選の反旗に手を貸して、その後も王宮に留まり続けたけれど、驍宗には「様」をつけて自身の主は驍宗だという姿勢は崩さず、でも阿選のいちばんそばにいた人。

 

琅燦は果たして味方なんだろうか、敵なんだろうかと、最後の最後の最後まで謎でした。

やっと謎が瓦解したのは、泰麒の「琅燦は敵ではない」という言葉です。

 

その後、もう一回最初から琅燦の動向だけ読み返してみました。

以下はわたしなりの解釈・考察です。

 

泰麒が言う通り、琅燦は「敵ではない」けど、厳密な意味での「味方でもない」んだろうなと思いました。(味方の定義をどうするかにもよる)

琅燦は黄朱です。同じく黄朱で琅燦が遣わした耶利が言うように、黄朱の人たちは、この世界の一般の人たちが抱くのとは異なる理で生きています。

 

その最たるが、国のために王や麒麟を絶対的な存在と思わないところです。

 

この世界の人たちは、もう刷り込みのようにその意識が強い。だからこそ泰麒は、麒麟としての存在感があの四面楚歌のような状況においてもなお強いのです。

 

でも、別の原理は働いています。それはおそらく「自分が主だと思う人への忠義は強い」ことです。

もしかしたら、そこの揺るぎなさは、この世界の一般の人たちよりも強いかもしれない。(人が人であるがゆえに、主への忠義が疑われることがある。友尚や恵棟が阿選を見限ったように。そこには、主より国、王のほうが絶対というこの世界の絶対感が勝っている)

琅燦と耶利だけを見て黄朱一般に話を拡げするのは飛躍しすぎかもしれませんが、少なくともこの二人はそこが共通していると感じました。

 

だからこそ耶利は、泰麒の一連の行動を見て泰麒に従うことを自分の役割と決めたところがあります。

なんていうか、長いものに巻かれないよね、黄朱の人って

 

琅燦の動く原理は、驍宗が主というところに一貫していて、驍宗が王である限りそれは戴のためになる。

 

じゃあ、阿選をそそのかしたのはどう考えるのか??

ここ、すごく難しいところなんですが。結局のところ、そそのかしたのは琅燦かもしれないけど、それに乗るかどうか決めたのは阿選なんだよね、というのが個人的な見解です。

 

別に琅燦は阿選をそそのかして驍宗を失脚させようとは思っていなかった。

 

もしかしたら、阿選をそそのかしたらどんな事態になるのかしらという好奇心はあったかもしれない。それは黄朱ならではの好奇心で。

じゃあ琅燦は悪くないのかというと、そこはちょっと微妙なところです。

この国の理でいうと、罪は重いかもしれないけれど、そうとも言い難いというか。見解はいくらでもあり、単純に言えないと思う。

 

つまり、最初の「琅燦は敵ではない」に戻っていくわけです。

敵ではないけれど、純粋に味方とも言えない。

 

結果的に琅燦が王宮にとどまることで、完全に阿選によって国が崩壊することは免れていた部分もあります。

例えば、冬官の保護。技術が失われるのは、長い目でみると国にとって大損害です。

琅燦が王宮にとどまることで、沐雨など一部外に情報が流れていたとも言える。

耶利を泰麒に遣わせたのも琅燦です。それもごくごく秘密裏に。

最初の阿選と泰麒との対峙でも、最も阿選に疑われにくい方法へ誘導した。

一貫して、自分の主は驍宗だという主張は曲げていない。

 

李斎や功梁は軍人です。

軍人の論理は、ある意味わかりやすい。主への忠義が、とてもわかりやすいかたちで表現される。

そして、その行動は容易に正義と表現される。

 

でも、琅燦の忠義は、とてもわかりづらい。

一見すると、こいつ味方か? と思わせる。その行動を是としない人たちもいるでしょう。

 

でも、なんていうかな。頭の良い人です。

そして、世の中には、そういう単純に白か黒かで判断できないことがあるんだよと教えてくれた人でもあると思います。

 

泰麒の奸計も、阿選派(と言えるほど確固としたものはないけれど)からしてみれば、義に反することです。

阿選の叛意が、ものすごくわかりづらいかたちであったように、琅燦の動く原理も、ものすごくわかりづらいものだった。

 

 

あるいは。

驍宗も、薄々阿選の叛意に気がついていた。だからこそ、あえて罠に自ら入っていったところがありました。

琅燦も、阿選がいずれ驍宗を裏切るであろうことを見抜いていたのだとしたら。(まあ、唆かすくらいだから気づいているでしょう)

 

いずれも、阿選その人が動かないと、どうにもなりません。

 

そもそも阿選がそういう謀反を起こすものだと考えもしなかった阿選の麾下たち。それは、驍宗側の麾下とて同じです。

証拠がないのに失脚させるわけにはいかない。表面上は阿選と驍宗はとてもうまくいっているのです。それこそ王の一存で部下を切り捨てるなんて、失道に値するかもしれない。

 

阿選が発って、初めて反逆になる。だから、琅燦もあえてそそのかす役を買って出たのではないでしょうか。

(そそのかしたのは琅燦でも、動くと決めたのは阿選で、そこが阿選が王になるかなれないかの決定的な違いとも言えます)

 

だから、妖魔を使役する方法は教えているけれど、完全とはいえず中途半端な使い方になっていた。(耶利が「危うい」と言っていました)

 

あと、人が人を動かすという点で、予測不可能なエラーは発生するわけで、そのいくつかの読み間違いは、阿選にも琅燦にも、驍宗にも生じていたのだと思います。

そしてその不幸な偶然は、結果的にそれぞれが動きづらい状況をつくってしまった。

 

そのなかで琅燦は、驍宗を助けにいくわけにもいかず(立場的にそういうことに自由に動ける力はない)、しかし主が帰還するまでにできる最善を尽くしていたようにも思います。

 

ここで琅燦の黄朱という人種と、驍宗が主という点をもう一度思い起こします。

この十二国記の特徴として、官吏などの位の高い人は仙です。簡単にいうと、寿命の理から外れるわけです。

琅燦にとってみれば、主である驍宗が帰還すれば良いわけで、民のことや戴の今後は二の次と思います。

長い目で見て、戴がそこまで酷い状況になっていなければいいので、数年の民の困窮は優先順位として低い。(ここが泰麒と原理の違うところ)

 

だから阿選には実権を掌握できるほどの妖魔の使い方も教えていないし、助言を与えているようで監視しているともいえるし、こっそり情報を流したり技術を保護したりしている。

そんな風に眺めてみると、琅燦の貢献は存外大きかったのではないかとも思えます。

 

ただし、そこまで思い至る人はあんまりいないかもしれないのと、そのやり方をよしとしない人たちもやはりいると思います。みんなに理解してもらおうという意識も琅燦には低そうです。

 

 

単純な自分のなかには琅燦みたいな人がいなかったので、なんだか新発見というか、考えると面白いなあと思いました。

 

 

結び

特に今回の作品は、たくさんの登場人物によるそれぞれの立場での描写が多彩で、単純に善と悪と言えない難しさを突きつけられているなと思いました。

例えば阿選と驍宗だけにクローズアップしても、阿選からの視点、驍宗からの視点は全然違っていて、それは周囲の人々が思う人柄と当てはまるところもあれば当てはまらないところもあります。

 

そういう意味で、どこからつついても面白さがあるし、それがリアルタイムで読める幸せって言ったら。

今回は主に琅燦について取り上げてみましたが、また機会があったら、違う視点から考察してみたいと思います。

 

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