台風21号の衝撃も冷めやらぬうちに、北海道でも大きな地震が起きました。
気持ちが追いつかないです。
今年はほんとうに、大きな規模の災害が続いています。
わたし自身は、そこまで大きな被害を受けたわけではありません。
でも関西に住んでいるので、全く影響がなかったわけでもないです。
ブログへの気持ちが、いつもの日常のテーマに向きづらくて、感じたことを記事にしておこうと思いました。
被災の体験談ではなくて、あくまで感じたことが今回のテーマです。
最初に結論から言うと
「ほんとうに困ったときは、誰も助けてくれないんだなあ。自分でどうするか考えて動かないといけないんだなあ」
と、強く実感したことです。
大阪北部地震と西日本豪雨
この二つで共通の体験が
目の前で、電車が運転見合わせになったこと
でした。
いずれも、家からは遠い場所で遭遇しました。
共通点が、最初の衝撃が呆然とすることです。
思考の停止です。
「運転見合わせ」と表示された電光掲示板をずっと見つめていました。ずっと見つめていたら、何かが変わるかもしれないと、あてもない幻想を抱くように、凝視していました。
誰も、この後どうなるのか、どうしたらいいのか教えてくれません。
人身事故なら、振替とか選択肢も提示してもらえるけど、災害が起こるとそれはない。
みんな混乱している。みんな等しく被災者です。
今回、わたしは「これからどうやって行動したらいいか」必死に考えました。
自分のなかで「考えろ、考えるんだ」と必死に言い聞かせました。
これは、普段の思考回路にはほとんどない感覚です。
わたしは基本的に熟考型で、慎重で、考えることに時間をかけます。
しかも、もともとが受動型です。
できるのなら、誰かが決めてくれたものを受け取るほうがありがたいです。
自分からなにかをどんどん切り開いていくほうではない。
でも、それではダメだと思いました。
待っていても、誰も助けてはくれない。
いまできる最善の選択肢は何か、自分で考えて行動するしかない。その人にとっての最善は、その人のもの。みんな違う。
今回の台風で、おそらく地震で弱った屋根から雨漏りが発生しました。
雨漏りする屋根をどうにかしないといけない。
地震と台風で市内の業者さんは、パンク状態で助けが得られません。
まだ屋根がちゃんとあるだけありがたいでしょう。でも、雨漏りは放置できません。
自分でどうにかしないといけない。
屋根にブルーシートで応急処置ができたら良かったのだけれど、それは素人には無理なので、次の応急処置は天井裏です。
天袋に登って、生まれて初めて屋根裏に足を踏み入れました。
身体をどう動かしたらいいのかもわからない。
アスレチックみたい。そんなの小学生以来ですよ。
でも考えて、身体を動かさないと、いまできる最善はなんなのだろうとわたしが考えて決めないといけない。
ここでも、「考えろ、考えるんだ」と必死に言い聞かせました。
現代はとっても便利な世の中です。
それはほんとうにありがたいことです。
大抵のことはなんとかなるし、困ったらネットで調べたらある程度どうにかなります。
でも、ほんとうに大切なこと、ほんとうに困ったとき
やはり、まず自分ありきなんだなあと思いました。
もちろん助け合うことも大切です。
でも助けるのは、まず自分に余裕がないとできません。
一瞬の判断力で生死を分けた体験というのは、耳にしたことはありました。
すごいなあと思うことはあってもやっぱり他人事なんですよね。
その場にいたらわたしにできるだろうか、無理だろうなとも感じていました。
わたしの体験は、それらに比べればかわいらしいものだけれど
思考を止めずに、いまできる最善を考え続けること
言葉にすると当たり前のことだけれど、改めて強く実感しました。
人を助けるには、まず自分から。
災害報道を見て苦しんでいるあなたへ:北海道地震と共感疲労(Yahoo!ニュース)
新潟青陵大学大学院教授の碓井真史先生の記事です。
台風と、そのあとの地震のニュースに、プラス我が家の雨漏り対策で、すっかり心身共に疲弊しまくっていたのですが、共感疲労もあるのだなとわかりました。共感は大事なことですが、まずはセルフケアが基本です。
こんな時にブログで、日常のことを書くのは不謹慎だなあと感じることも正直あります。今回もそうです。
でも、日常を、当たり前と思っていることをちゃんと記録しておくこと、そういうことにこそ日々の小さな幸せが眠っているのだとも思います。だから、続けることをやっぱり心がけていきたいです。
また強い雨が続いていたり、新しい台風が発生したりと、次から次にこころ休まることがありません。
北海道地震で被害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。
災害で被害に遭われた地域の方々が、少しでも早くホッとできる日常に戻れますようお祈り申し上げます。