映画「君の名は。」感想・考察(2回目)

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新海誠監督の最新作「天気の子」公開まであと少しですね。

わたしも予告編を見たら「これは是が非でも見に行かねば」と思いました。

新海監督の作品は、見せ方がうまいなあと感心します。

 

というわけで、前回に引き続き「君の名は。」の感想第2弾です。

▽1回目の感想はこちら。

 

久しぶりにまた見てみたいなあと思っていたら、運良くテレビで再放送されました。(CMが面白かったですね!)

3年ぶり、2回目視聴の感想を書いてみます。ブログの更新は1回目→2回目の順ですが、これを書いている時点で、1回目の感想は読んでいません。

当時と違う感触なのか、いまこれを書きながらちょっとワクワクします。

しかし、つくづく思うんだけど、当時のこの作品についてテレビでよく取り上げられていた見所ポイントって、わたしには全然ヒットしなかったんだよなあと、今回も思いました。

 

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並行する世界と時間軸のズレ

2回目視聴のなにが面白いって、物語のカラクリを知りながら見られることですよね! しかも1回目で気づかなかったポイントがわかる。例えば、オープニングの時点でネタバレをいっぱいしている。

 

この作品の肝は、入れ替わりが同じ時間軸で起こっていないことです。

そのことに気づくのは、後半になってから。

そして、瀧くんは実は三葉ちゃんに会ったことがある。

 

ふたりを繋ぐ鍵は、組紐です。組紐が存在することが、入れ替わりの条件みたいになっている。その証拠に、三葉が中学生瀧くんに組紐を渡すことで、入れ替わりは一度幕を閉じます。(隕石が落ちることが入れ替わりの終焉じゃない)

 

組紐を持った瀧くんが、御神体の地へ行き、三葉の一部を体内に取り込むことで再び入れ替わりが起きます。そして、たそがれ時にふたりは世界の境い目で一瞬の邂逅を果たし、瀧くんが三葉に組紐を渡して(ここがこの物語の最もファンタジー的な部分)、入れ替わりはほんとうに終わりを迎えます。

この物語は、組紐のように、繋がっていて、一旦その結び目を解いて、結び直す。そういうお話です。

そのための仕掛けが、入れ替わりであり、起こるための必要条件が隕石の到来だったように思います。

 

隕石がなかったら入れ替わる必然性はなかったでしょう。瀧くん(三葉)が、「これ(入れ替わり)はこのときのために必要だったのかも」と言ったこともあながち間違っていないかもしれない。

 

三葉の家系は、代々巫女の一族ですし。糸守が隕石によって生まれた町(というと語弊があるかもしれないけど、御神体や神社はその流れを持っていると思う)で、次の隕石を予見していたとも考えられる。

 

夢を見ている

そして、「夢を見ている」というのもいい得て妙です。

夢は意識と無意識の境界。御神体を祀る場所がこの世とあの世の境界にあり、たそがれ時もそのような境界の時間帯である。

 

物語のカラクリがわかったとき「なんでもっと早くに時間がズレていることに気がつかなかったのか」と思いませんでしたか。新聞を読むとか、テレビを見るとかね。

でも、彼らはある意味、夢を見るように入れ替わっていたのです。と考えると、なんだか納得します。

 

わたしたちは夢を見るとき、ほぼカレンダーを見ません。まれにぴったりと日にちを言い当てる夢を見ることもあるかもしれないけど、大概は、夢は現実の時間よりも体験や情動が重視されます。

 

彼らは現実の時間軸で入れ替わっているわけではなく、同じ時間帯には彼らは存在していないのです。ある意味夢を見ているという表現は当たっている。

 

なんで瀧くんと三葉なのか。

これはもうわかりません。三葉は、糸守の代々続く巫女家系というのでまだちょっとわかる。

瀧くんについては、母親がいないくらいしか共通点がない。

 

これはわたしの推測なのですが、ふたりは魂の片割れだったんだろうなあと思います。

ほら、たそがれ時は「片割れ時」と物語のなかでも言われているでしょう。

これも前回の感想で取り上げたのですが、村上春樹さんの「海辺のカフカ」でプラトンの饗宴で、昔は男男と男女と女女がいたという描写があります。

「昔の世界は男と女ではなく、男男と男女と女女によって成立していた。(中略)ところが神様が刃物を使って全員を半分に割ってしまった。きれいにまっぷたつに。その結果、世の中は男と女だけになり、人々はあるべき残りの半身を求めて、右往左往しながら人生を送るようになった」(海辺のカフカ 上巻P79)

(しつこく今回も引用…)
「海辺のカフカ」では、佐伯さんという女性が、かつて魂の片割れ的な幼なじみを失い、魂が半分抜け殻のようになった状態で生きています。

 

人と人の縁も、「結び」と言われます。

瀧くんと三葉ちゃんは、そういう強い縁で結ばれていて、それが隕石という天災と、代々の巫女家系とかつての隕石でできた境界とかいろんなものが作用して、絶妙な化学反応が起きたんだろうなあと思います。

 

名前

名前って、強い力があります。「言霊」という言葉もあるように、名前にも力がある。

名前がつくことで、名前がついたものはそれに固定されます。

名前がつかないと、それはぼんやりと曖昧なものになります。

 

この「名前を忘れる」ということ。

 

「君の名は。」というタイトルにも通じるのですが、彼らは名前を忘れています。でもどこかでいつか出会ったら絶対にわかるだろうという確信を抱いています。

 

彼らのしでかしたことは、世の中の理(ことわり)を変えるほどのことです。

名前を忘れたのは、その代償ともとれます。

 

彼らは現実には一度も出会ったことがなくて(結び目を解いて結び直した時点で、隕石から助かった糸守とその後の高校生瀧くんは違う並行世界へ移行します。組紐は三葉が持ち続けることになる)、でも一方で“ここではないどこか”で出会ったことがある。

 

そこでなにが起こったかを正確に把握することは人智を超えます。

 

だから、代償として名前を失ったのではないだろうか。

夢を見るように、記憶は薄れていく。自分で合理的に説明できるように、ストーリーが書き換えられていく。(フロイトのいう顕在夢に近いです。夢は、現実へ出る時、意識の検閲を受ける)

 

彼らは失った名前を取り戻すことで、やっと出会える。

名前を得ることで、ふたりはほんとうの意味で出会えたのだろうなと思います。

 

3年前の感想との比較

と、ここまで書いて、3年前の感想を紐解いてみたら「あれ、こんなに少なかった……?」というくらい前のはちょっとしか書いていなかった。

しかも、掴んでいたことは大筋としてはそんなに変わっていなかった。組紐のところが加わったくらいかな。

以前より、言葉で表現することができるようになったのかな。ブログを続けている効用かもしれません。

 

結び

今回のわたしの感想は、わたしなりの解釈、考察です。100人見たら100通りの解釈があるだろうし、「君の名は。」見せ方も音楽も魅力的要素はほんとうにたくさんあって、なによりこの作品の引き出しの多さがわたしには惹かれます。

また時期をあけて見たら、違った引き出しが見つかるかもしれません。

 

あと、今月19日から公開の「天気の子」とっても楽しみです!

こちらも見たらぜひ感想を書きたいと思います。

 

2019年7月追記

▽早速見てきました!

 

 

まとまりのない感想を、ここまでお付き合い下さいましてありがとうございました。

 

 

関連情報

「君の名は。」DVDスタンダード・エディション [ 神木隆之介 ]
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海辺のカフカ(上巻) (新潮文庫) [ 村上春樹 ]
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▽3年前の感想(以前のブログからの再掲です)

▽最新作「天気の子」の感想

 

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