映画「コードギアス 反逆のルルーシュⅢ 皇道」感想

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image:©SUNRISE/PROJECT L-GEASS http://www.geass.jp/L-geass/
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コードギアス 反逆のルルーシュIII 皇道

コードギアス映画版三部作もいよいよ最後になりました。

普段のとりねこブログの趣旨からするとけっこう外れるので、実は感想を書くのは勇気がいりました。でも、まあそういうのも引っくるめてわたしなので、最後までかたちにしておこうと思います。

 

例えば昨年読んだ「真説 孫子」


これを読むまで、わたしは”戦術”と”戦略”の違いもわかっていなかったのです。

 

わかってからコードギアスを観ると、さらにコードギアスの面白味が増しました。

本を何度も読むことは、その度に新しい出会いがあります。

それと同じことは、映像作品にも言えます。実写だろうとアニメだろうと。

それは、受け取り手に委ねられている部分でもあります。

 

▽興道、叛道の感想

 

 

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シャルルとシュナイゼル、ルルーシュの皇道の違い

わたしの軟弱な頭では、頭の良さそうな人の考えていることはどこまで理解できているか怪しいのですが、タイトルにある「皇道」について、それぞれの立場から考察してみます。

 

シャルル

「嘘のない世界」を作ろうとしたシャルル。

シャルルの目指した世界は、言葉で表すととてもむずかしい。

 

集合無意識、「神」とも呼ばれる。シャルルが壊そうとしたものです。

 

ギアスのなかでの集合無意識が何を指しているのか、わからないのですが

集合無意識(collective unconscious)は、原初的に人が共通して持っているとされる無意識です。

 

人種も、文化も、育ちも、国も関係ありません。世界各国の神話で、お互いの文化を知らないのに似ている部分が存在するのは、集合的無意識があるからとされています。

 

コードギアスのなかで神を殺すことは、既存の人の世界の秩序そのものの在り方を壊すことなのでしょう。

集合無意識は万人に共通して存在するものだけれど、それでいてわたしたちはひとつとして同じものがない「個」でもあるからです。自己実現の目的は”性化”でもあるのです。

 

シャルルたちのやろうとしていたことは、この”個”をなくすことに他なりません。

 

ただ、ルルーシュに否定されているように、結局それは自分たちのエゴでもある。

 

シュナイゼル

この人がいちばんわたしには難解な方なのですが。

ある意味で、ルルーシュの対極にいる人で、戦略レベルは、ルルーシュより上です。

 

ただ、彼に決定的に欠けているのが「欲」がないこと。

 

コーネリアが「兄上には執着する欲がない。世が世なら、卓越した王になったであろう

ルルーシュの「俺が読んだのはあなたの本質だ。あなたは常に負けないところでゲームをしている

といった言葉の端々からあるように(この人たち本当優秀だよな。兄弟でここまで冷静に分析できるのすごい)

 

シュナイゼルは徹底的に「~~したい!」が、ない。

 

希求の塊みたいなルルーシュととことん対照的。

だから、彼は自分の命すらある意味では惜しくない。

 

シュナイゼルって常に紳士で誰にでも慇懃ですが、裏を返すと誰のことも(自分のことも?)そんなに好きでも嫌いでもないのだろうな。

 

システマティックに世の中が動くこと、かなり強引な見解ですが彼が目指していたことはそこです。そのための犠牲は、まあしょうがないよねという意見。

世が世なら卓越した王になっただろうというコーネリアの意見は最もだなあと思います。

 

私利私欲に走らずに、国が円滑に維持されることに専念できるのは、平和な時代であればこれほど理想的なことはありません。(そのために不正なども必要悪だよねとか言っちゃいそうだけど)

 

コードギアスは、悪役らしい悪役がいなくて、シュナイゼルももうちょっと欲があると人間らしく悪役になれるんだけれど、それがないのがシュナイゼルなのだろうと思います。

つまり、視点の違いでいかようにもなる存在。だからこその、ルルーシュのあのギアス。

 

ルルーシュ

最後にルルーシュですが、そこは主人公よろしく、いちばん意志の力の強い人です。

ルルーシュのやったことって、正当化されることではありません。

撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ」と言う言葉は、最初から最後まで彼の信条でした。

 

ルルーシュが反逆したものって何だったのだろう。

ブリタニアという巨大な国や、その皇帝にして父親のシャルルとか、そういうものではなく、彼が抗ったのは既存の世界そのものではないのかなとも思うのです。

 

ギアスという力を手に入れる前から、ルルーシュの信条は一貫していました。

それがとてもよく表れているのが、冒頭の巻き込まれたトレーラーを助けに行くところです。

ギアスとかテロとか、そういうのと全然関係のない一学生として過ごしていた頃から、彼は傍観者でいることを拒否していました。彼らしさを、よく表現していると思います。

シャルルともシュナイゼルとも違う、とにかくちゃんとそこに身を置いて、動こうとする。ルルーシュってそういう人だなあと思う。それでやってのける頭と行動力とカリスマ性と演出性があるのがまたすごいんだけれど。

 

「世界を壊して、世界をつくる」

ルルーシュのやっていることって、かなり滅茶苦茶で非道で残虐なこともたくさんしているんだけれど、一方で身近な人にはとても優しい。だから不思議と彼の周りには人が集まってくる。

彼がつくりたかったのは、人々の願いがちゃんと動く世界。

 

ルルーシュのやり方が正しかったかどうかの是非はともかくとして、最初から最後まで筋を通したのは確か。それゆえのあの結末。

 

そういう意味で、「復活のルルーシュ」は本来はあってはならない続編なのですが、10年も経つしもういいでしょという、公式ならではのファンサービスなのだと思います。

 

シャーリーの立ち位置の変化と、変わらなかった部分

興道、叛道の感想でも書きましたが、シャーリーの動向も今回はチェックしていました。

皇道ではルルーシュとの絡みはほぼなしです。一般市民的位置で、いろいろと起こる出来事に関わる。

今回のシャーリーの動向(一部分)

ルル(?)と電話で話すシーンで、いつの間にかジェレミアと知り合いっぽくなっている。

竹林(?)らしき場所で、C.C.っぽい人と会っている?

エンディング間近のナレーションにカレンの後にシャーリーが続く(意味深なセリフ)

エンドロール後の場面で、C.C.が貰った手紙がジェレミアと連名
(ルルーシュの遺体?を運ぶなどなんらかの工作に関与した可能性)

 

ギアスというものに巻き込まれたテレビ版とは大きく異なります。

今回映画版でシャーリーの立ち位置の変化にずっと注目していたのですが、三部作を通して観て、「変化したようで実は立ち位置は変わっていなかった」と思いました。

 

確かにギアスに巻き込まれた被害者という側面は大きく変わりました。

最初から最後までずっと事態を眺める立場にシャーリーがいた。関わる立場ではないことに、意義があります。決して声を出さないけれど、彼女は証言者でもある。

 

そして、テレビ版で、R2で記憶を取り戻して、それでもルルーシュのことが好きで、ルルーシュの力になりたいと思った彼女の意志は、映画版にしっかりと引き継がれています。

これだけ改変されているのに、シャーリーの本質は変わっていなかったんだなあということに驚きです。やっぱりすごい、コードギアス。

ある意味で、ロロによって阻まれたことを、彼女は映画版で達成しているんですよね。

 

黒の騎士団にも、ギアスの一連の騒動にも関わらない位置で、でも純粋にルルーシュのために動いている(動ける)、これはシャーリーだからこそできることなんだろうなあと思います。

 

結び

他にも掘り下げるといっぱいいろいろあるのですが、書き出すとキリがないです。

また時期を見て、「復活のルルーシュ」を見返したときにいろいろ考察してみたいです。

ここまでお付き合いくださいましてありがとうございました。

 

関連情報

▽劇場版コードギアス三部作ホームページ

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