地震について思うことを書いてみる

雑記
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昨日の夜、寝る前にスマホを触っていて、新潟で大きな地震が起こったことを知りました。

今日は別の記事を投稿する予定だったのですが、ちょっとそんな気分になれなくなったので、今日は地震について書いてみることにしました。

というのも、折しも昨日は大阪北部地震が起こって丸一年の日だったからです。

 

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昨年の地震の体験

昨年の地震のときは、ちょうど通勤中で、電車を降りた瞬間に地震に遭遇しました。

こんなに大きな揺れは阪神大震災以来だったので、これはやばいと思いました。

真っ先に思ったのは家族の安否です。

 

しかし、遭遇した場所は職場に近い場所で、家からは遠く、その日は止まった電車を横目で見ながらなんとか職場へ到着しました。

仕事中でも気持ちが落ち着かないこと。電車は復旧しないし、ライフラインも危ないこと、そもそも家に帰れるんだろうかと不安でたまらなかったです。

 

ライフラインは、ガスが止まりました。水道は一部水が濁った地域もありましたし、自衛隊の給水所も作られました。我が家は一応無事だったけど、いつ止まるかわからない不安はありました。

ライフラインって、ほんとうに命を繋ぐものなんですね。

今回、止まったのはガスだけだったんですが、電気、ガス、水道。どれも日常に当たり前みたいにあるけど、こんなにもなくなることに不安が増すのかと、自分でもびっくりしました。

 

また、局所的な地震だったので、日常は割と普通に再開されて(職場は地震の影響がそこまで出なかった地域)、でも家に帰るとまだガスも止まっているし非常事態というギャップ。テレビも普通に日常で、でも家のなかは日常ではない状態のギャップがしんどかったです。

 

そんななか、近隣の市のお風呂屋さんが無料で開放してくれて、お風呂に入りに行きました。あのときはほんとうにありがたかったです。張り詰めたなかで、とても良い記憶です。

文字通りこころも身体も温かいお湯でほぐしてもらいました。

 

結果的にいうと、ガスは1週間ほどで復旧して(復旧に尽力してくださったガス会社の方のたまものです)、電気も水道も使えたし、道路は封鎖されていないから物資はすぐに入ってくるし(それでもスーパーからは飲料水が消えました)、そこまで被害はひどくなかったのです。そのあとの西日本集中豪雨のほうがよっぽど被害は甚大だった。

でも、あの日常の脅かされる感覚は、家が当たり前に機能しなくなる感覚は、こんなにもこころに負荷を与えるんだと気づかされました。

被害の大きさそのもので計れないものが、災害にはあると改めて感じました。

 

1週間は、ずっと神経がビンビンに張り詰めていました。

このへんは体験の個人差もあると思います。

結び

今回の地震で被害に遭われた方、また地震に遭遇された方にこころよりお見舞い申し上げます。

地震って被害は後から後から浮かび上がってくるものだし、余震の心配もあってまだ気が抜けないと思います。被害が最小限になることを願ってやみません。

 

災害はいつやってくるかわからないし、やってくるといろんなものが壊される、脅かされることになります。

同時に、普段当たり前のように過ごしている日常が、実はいろんなものに支えられている、実は当たり前のものじゃない、とても大切なものなんだと気づかされます。

 

だからこそ日常にできるだけ早く戻っていくことは、とても大切。

明日からブログはまた通常運転に戻りますが、この気持ちを忘れずに持っておこうと思います。

 

文章がいまひとつまとまらないんだけど、今日は特別立ち止まる日になりました。

これが新潟で地震が起きなければ、スルーされていたと思うと、後ろめたいというか、なんともいえない気持ちになってきます。うーん、これいついてはまだうまく言語化できない。

忘れたわけではないけれど、でも深刻になりすぎても良くない。また、もっと被害がひどかった地域もあるのだから、取り上げて「なんだよ、自分ばっかり大変ぶって」と思われるんじゃないかという気持ちもあります。災害は、平等に降りかかりながら不平等を引き起こすものでもあります。色々と人のネガティヴな側面を露わにするものなんでしょうね。

 

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