「騎士団長殺し」に見る豊かさについて –騎士団長殺し

小説
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騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

 

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はじめに

「騎士団長殺し」を読むのは2回目です。

初めて読んだとき、「ああ、豊かさってのはこういうことを言うんだなあ」としみじみ思いました。読んでいるあいだ、ずっとこころが穏やかで満ち足りた気持ちになりました。

でも「こういうこと」ってどういうこと?

「豊かさ」ってそもそもなに?

いざ言葉にすると、まだうまく説明できませんでした。

 

2回目読了して、やっと言葉が追いついてきた感じ。今回はそのあたりを書いてみます。

 

時間を味方につけること

『騎士団長殺し』にも春樹さんお得意の(?)向こう側の世界が在ります。

ユニークな登場人物たち。そういうものは、村上春樹さんらしくて興味深いですが(このへんは村上春樹を好むかどうかの分かれ目になるのかもしれない)、それらについては今回は棚のほうに置いておきます。

 

映画『ハナレイ・ベイ』の感想にも書きましたが、「時間の流れ方」がわたしは好きです。

 

奥さんに突然別れを告げられて、なにかを忘れるようにひたすら車が壊れるまで運転し続けた日々。

その後の雨田具彦の家で過ごす、単調な日々。

 

まあ、会社勤めをしていると、奥さんに見限られても会社を休んだり辞めたりと簡単にできるものでもないし、小説だからできるんだよと揶揄されればそれまでですが。

主人公にとって、それほどまでのダメージがあったこと。そこから回復するためには、その過程は、「時間を味方につけること」は必要だったのだろう。

それは彼が芸術という特殊な技能を必要とされる職業に就いているのも関係しているのもしれません。でも、はたしてそれだけが理由とは言えるのでしょうか。

 

それくらい、ごく当たり前の日常が壊れることの衝撃は大きいんじゃないかな。

そして、それはもしかしたら、何かに無頓着になっていた代償なのかもしれません。

その意味を、言葉にできるものもできないものも含めて、ひたすらに向き合うこと。それには時間がやはり必要とされるのでしょう。

 

いま書いていて思ったのですが、その意味を理解するのには、単に出来事について「考える」だけでは足りないのかも。意識で考えていないときも、人は無意識下でも思考している。意識下の言語による思考とはおそらく異なるかたちで。その日々が、あの小説で描かれていることでもあるように思います。

 

日常をちゃんとこなすこと

もともと主夫をしていた主人公なので、家事スキルはあるのですが、ちゃんとごはんをつくって、家事をして、規則正しい生活を送っています。

わたしはこの、ごくごく当たり前の日常の描写が、実はすごく好きです。

 

わたしが感じる豊かさって、実はこういうこと。

物質的な豊かさではなく、こころを満たしていくための豊かさ。

 

慌ただしく日常を送るのではなく、ひとつひとつの何気ないことを丁寧にやること(例えば、ラジオを聴きながら朝パンを焼いてコーヒーを飲むとか)。

 

なんでこの日常を取り上げるかというと、壊れた日常を取り戻すための時間は必要だけれど、じゃあその日常を怠惰に過ごせばいいかというと(例えば毎日お酒に溺れてしまうとか)、そうではなく、日々の生活をちゃんとしながら過ごすことは、時間を味方につけるための基盤になると思うからです。

 

日常を、ひとつひとつ丁寧にこなすことは、それだけでクリエイティヴでもある。

 

結び

今回は、「この小説を読んで感じる豊かさってなんだろう?」について書いてみましたが、ほかにも面白い要素はいっぱいある小説です。個人的に、最近の春樹さんの小説ではかなり好きなほう。

いずれまた、異なる切り口から取り上げてみたいと思います。

 

 

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