読んだときの感触で本を記憶する『ラオスにいったい何があるというんですか?』村上春樹

小説以外
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「趣味は読書です」と一応言っていますが、普段の読書の8割くらいは仕事に関係する本なので、果たしてこれを趣味と言っていいのか疑問が残ります。

仕事に関係する本は、時にはぐっと感動に浸ることもあるけれど、大体において娯楽のために読まれていないのでなんとなく”意味のない息抜き”要素が少ない。

 

そういうわけで、時々”息抜き”のための本が読みたくなるのです。

「そうだ、春樹さんの『ラオスにいったい何があるというんですか?』を読もう」と思い立ちました。

 

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前に読んだときの記憶からわかったこと

この本を読むのは2回目。初読は2016年10月です。(前のブログに感想が残っていた)

おおよそ1年半前に読んだのですが、中身は全然覚えていませんでした。

「ラオスに何があったんだっけ?」のレベルです。

紀行文集であるのは覚えていたんだけど、それ以外は全く。

むしろ覚えていたのは、犬が寝そべっている白い写真の表紙と、そして、読んだ感触です。

 

これを読んだとき、「春樹さんの文章は小説以外でも読んでいて心地良いな」とか、読んでいて無性に癒された快の体験が、まず頭をよぎりました。

内容そのものよりも、体験の質を覚えていたのです。

そして、その体験の質が「また読みたいなあ」に繋がりました。

 

これは、前回の「国境の南、太陽の西」と逆の体験ですね。

あっちはむしろ不快の印象が強くて、長いこと読む気になれなかった。

実際に読んでみたら、昔と印象が変わっていてその違いを味わうのが面白かったんだけれど。

▽そのときの感想

 

つくづく自分は受け取った感触で生きているんだなあと思います。

なんとなく”心地良い”と感じ取ったものを、続けていくところがある。

 

伊勢参りもそうですが、最近は能もそうなんじゃないかと思えてきました。

感覚で受け取ったものがどうもわたしには”能が心地良い”と訴えているようです。

 

久しぶりに読んでみた感想

久しぶりに読んでみて、読み出すと、「そうそう、こんなこと書いてあったなあ」と記憶の引き出しから引っ張り出されてきて、ちゃんと内容も思い出されました。

 

すごく面白いなあと思ったのが、1箇所にだけ付箋を貼ったのですね。

その箇所が、以前ブログで”特に好きな一節”として引用していたところと全く同じ箇所だったのです。

いや、一字一句同じところでした。わたしの思考パターンは、1年半を経過してもそんなに変わっていないようです。

 

ちなみにその一節がこちら。

故事来歴について細かい説明をしてくれるガイドのような人が一緒であれば、それは何かと便利だろうとは思うけれど、細かい歴史的事情や宗教的背景がそんなにわからなくても、ガイドブックを頼りに、自分一人でいろいろと想像を巡らせながら歩きまっているだけで、けっこう楽しめます。というか、その方がむしろ自分のペースで移動できて都合が良いかもしれない。そこでいちばん大事なことは——僕の個人的な意見を言わせていただければ——とにかくゆっくり時間をかけることだ。
(P165 大いなるメコン川の畔で) 

 

最初に話を戻すと、いつもは仕事の本を読む合間に癒しを求めて息抜きの読書をするんだけれど、今回は趣味のはずの息抜きの読書の合間に癒しを求めてこの本を読んでいました(ややこしい)

 

同じ時期にカズオ・イシグロの「充たされざる者」が図書館からやっと予約が回ってきて読み出しました。

これが分厚いのは良いのですが非常にストレスがたまるのです。でも気になるので読み進めちゃう。

▽感想はこちらです。

 

 

結び

わたしの気持ちを穏やかにするのにとても役に立ってくれました。

わたしにとって精神安定剤みたいな本です。

 

そして、やっぱりこの本を読むと、旅に出たくなるなあ。

 

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