「国境の南、太陽の西」 村上春樹 講談社文庫(Amazonのページへ)
久しぶりに「小説が読みたい!」と無性に思って本棚を探したら目にとまったのが村上春樹さんの「国境の南、太陽の西」でした。
「国境の南、太陽の西」は1回しか読んでいないし、なんだかこの本は読後感が良くなかった記憶がするのです。なので、あんまり”また読みたいリスト”には入っていなかった。島本さんという魅力的な女性と、おしゃれなジャズのバーが出てくるのは覚えていたのだけれど、内容やその読後感の良くない感じについては”なんとなく”しか記憶になかった。それくらい前に読んだ本です。
読書について
普段はお仕事関連の本を読むことが多い。でも、わたしにとって”読書”とは、こころの井戸を掘るような作業です。知識や教養を得るだけが読書ではない(もちろんそれも大事なことだが)。本を読むことで新たな世界にめぐり合い、こころが豊かになる。そうすると、世界の見え方がちがってくる。
春樹さんの本は、特にそういう目に見えないこころの豊かさを与えてくれる存在です。最近の話でいうと、「騎士団長殺し」を読んでいる2週間ほどはとても幸せな日々でした。なんというのだろう、ストーリーそのものより読むことそのもので「ああ、豊かさってこういうことなんだろうな」と実感するのです。
わたしが本格的に読書をするようになったのは高校を卒業した後で、読書好きな友人に薦められるまで村上春樹なんて名前も知らなかったのです。ちゃんと国語の便覧にも載っていたのにね。いやあ、人生損していたなあと思います。
読書の魅力
読書の面白いところは、そのとき読んだ年齢、心境、いろんな状態によって読んだときの感触が変わることです。これは読書以外、例えば映画や旅行でも当てはまると思うのだけれど、読書は純粋に文章を自分の想像力で追っていくから、よりそのときの自分の状態が反映されるのだと思う。アンテナに引っかかるのは、そのときの自分のテーマだったりとかするのです。
おそらく前にこれを読んだのは20代。うーん、それは確かに30代の自分とはちがうなあと思います。
今回わたしが拾ったものは、いま自分が抱えているテーマそのものだったので、うーん、なんか呼ばれたなという気がしました。(それについては、個人的な事柄が関わってくるのでここでは触れませんが)
「国境の南、太陽の西」久しぶりの感想
ものすごく単純にいうと、「国境の南、太陽の西」って、順風満帆な男性が不倫する話です。
主人公は、女性から見るとひどいです。イズミさん然り、有紀子さん然り、相手の女性にはほとんどなんの落ち度もないのです。なのによくわからない吸引力とやらで浮気しちゃうんですよ。ひどい男だと思いませんか。これだけ聞くとひどい話と思います。小説を読むとそうでもないんだけどね。
わたしの持っている本は講談社文庫なのだけれど、本の背面カバーに添えられた作品解説の一文が秀逸なのです。
『日常に潜む不安をみずみずしく描く』
どんなに順風満帆に行っているように見えても、人の内面ってわからない。順調でも、不安はいたるところに潜んでいるし、それがどういうかたちで表れてくるのかはわからない。
これは主人公目線で描かれているけれど、イズミさんだって有紀子さんだって島本さんだって、なかになにを抱えているかわからないのです。それは目に見えるわかりやすいかたちのものではないのかもしれない。世の中はそんなに平面的にわかりやすいものだけでできていない。
わかりにくいものを、どう捉えていくかというときに、小説はひとつのかたちを与えてくれるのだと思います。正解はひとつではない。でも、自分のなかに見出していくときに、手がかりを与えてくれるもの。
こういうのは、ハウツー本にはありませんよね。人生のハウツーは、自分で探して見出していくものなんだろうなと思います。
最後に、久しぶりに読んでみると、読後感は悪くありませんでした。主人公はよく生還したな、と思います。島本さんのおかげです。生還することが、「みんは幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし」にならないのは言わずもがなですが。
どうでもいいけど、春樹さんの本を読んでいると、一般的な美人の概念は平板でつまらなく見えてくるなあ。