「鹿の王 水底の橋」上橋菜穂子

小説
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先月無性に小説が読みたくなって検索していたら、上橋菜穂子さんの「鹿の王」に続編があることを知りました。

 
 


「鹿の王」はこのブログを始める前に読んだので感想は書いていませんが、読んだ当時は衝撃的だったことを覚えています。

精霊の守り人シリーズも、とても人気ですよね。

(わたしは途中で挫折してしまいました……また機会があればー!)

 

※作品のネタバレを含みます。

※文庫版の内容に準拠しています。

 

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ホッサルが主人公の物語

前作はヴァンとユナが作品の主軸を担っていて、ホッサルやミラルは鍵を握る脇役でした。

でも、このちょっと特殊な位置付けのホッサル(オタワルという滅んだ王国の末裔の、貴い身分の御曹司の天才医術師)とミラル(愛人のような関係の、これまた能力の高いホッサルの相棒)のペアは、特に印象に残る二人でした。

 

今回は、ホッサルとミラル、オタワル医術と清心教医術、次期皇帝争いをめぐる物語です。

一見するとまったく関係のないこれらが、糸のように繋がって、綺麗な模様になって編み込まれています。

 

第3章は、点と点が幾重の線にもなって繋がっていくさまを見ているようで、めちゃくちゃ面白いです。推理小説やサスペンスの謎解きセクションに負けず劣らずなスリリングさです。

「鹿の王」のエッセンスはちゃんと残しつつ、この作品単体で読んでも十分に面白いと思いました。

 

オタワル医術と、清心教医術

ホッサルたちオタワル人が施すオタワル医術と、東乎瑠(ツオル)帝国にある清心教医術。

主流は清心教医術ですが、こちらは宗教性も孕んだ、うーん、どちらかというと東洋医学に近い。
一方、オタワル医術は、科学的なものを追求している西洋医学に近いです。

 

それぞれに医術で病める人を治療することには違いはないんだけれど、それぞれの信条には違いがある。

 

また、皇妃をホッサルの祖父であるリムエッルが治療してから、皇帝がオタワル医術を庇護しはじめて、政治的なものも絡んで来るようになった。

そして、実は清心教医術にも、その起源には大きな秘密が隠されていた。

ホッサル、真那たちは、その秘密を知るべく、花部という地へ向かいます。

 

医学についての考え方は、いろいろあると思います。

以下、素人なりの意見として読んでください。

 

西洋医学が現在は主流を占めているけれど、でも一方で東洋医学も根強く残っているのは、やはり西洋医学だけでは解決できないものがあるからでしょう。

どちらかが正しくてどちらかが間違っているわけではなく、西洋医学は東洋医学にできないところを発揮しているし(現代の医学の進歩は、西洋医学、科学の貢献抜きには語れない)、でも西洋医学が苦手なところを東洋医学は補っている。

統合医療という考え方も最近は出てきています。

 

「でもね、医術師ならーー長く人の生き死にを見てきた者ならーー骨身に沁みてわかっているはずよ。病んでいる人の人生の中のほんのつかのまを助けられたら上等で、何をしようと、その人はやがて死ぬということを」

(P260 第2章 秘境 花部)

 

津雅那は偏狭な考え方があるけれど、ホッサルや真那は互いのことを認めつつ、高めていこうとする姿勢があって良いなと思います。

根本には、患者の病を救いたいという思いがあるからだと思う。

 

もちろんすぐに完全に受け容れられることばかりではないけれど、自分にないものをそのまま排除するのではなくて、どうなんだろうと考える姿勢は、物事を発展させるためにとても大切なものであると思う。

 

変化は怖いものでもある。これまでのやり方でやっていきたいと保守的になる人のこころの動きも、わからないでもない。

わたしもどちらかと言えば保守的な人なので、なかなか自分にはないものを受け容れることがむずかしいです。そういう意味では、津雅那さんの気持ちもわからないでもない(笑)

 

でも、そこで葛藤を持ちながらも、しかし新しいものにも開かれる柔軟な姿勢でありたいなと個人的には思います。

 

ミラル

だからこそ、ミラルは、とても強くて魅力的な女性だなと思いました。

ホッサルの愛人の立場に、本人は違和感からはじまって身分差から絶対に結ばれることはないという覚悟も持っていて、ホッサルの義姉への思いも知っている。

それでもそばに居続ける。いつか終わるときを思いながら。

 

ホッサルは天才ですが、ミラルも負けず劣らず医術の技術も、向学心も、人並外れてずば抜けています。

ときにツンツン尖ったホッサルをフォローする柔らかい緩衝材として(外にも内にも)、一見状況に流されているようで芯をしっかり持った女性。

 

特にミラルのあの柔らかく自分のなかに取り込んで行こうとする力は、とてもとても素敵です。

もしミラルがいなかったら、比羅宇候はこころを動かされなかったかもしれない。

 

最後にホッサルと一旦袂を分かって、清心教医術を学びに乎来那学堂に入った行動力。

ついでに絶対に覆せないと思っていた身分差も、克服しようとしている。

 

ミラルの持つ女性らしさが、如何なく発揮されたお話だなあと思いました。

 

あとがきに寄せて

この文庫版は、折しも、新型コロナウイルスが世界中にパンデミックを引き起こした今年に発売されました。

だから、本が出版されたときと文庫版が刊行されたときとで、大きな違いがあると思う。

 

本の重みや意味づけが、大きく変わったのです。あるいは、そのエッセンスがさらに重要さを増したというか。

 

というのも、文庫版のあとがきでは上橋先生も解説の東えりかさんも、コロナについて触れておられるからです。

 

上橋先生が、前作で人から人へ感染する病を描かなかったことを触れています。

「きっと心の底で、それを物語にしたら、描かねばならない世界が、あまりにも悲惨であることが怖くて、そんなものは書きたくないと感じていたのだと思います。
人・人感染症は、他の人たちと一緒に生きていることの幸せを奪う病ですから」
(中略)
「豊かに暮らしていくための仕事も、先生から学ぶ機会も、親しい人との触れあいも、ありとあらゆる世界規模での「交流」のすべてが、あっという間に、私たちを殺すかもしれない行為に変わったいま、「交流」がいかに大切なことであったかが、くっきりと浮かび上がって見えています」

(P453〜P454 文庫版あとがき)

 

コロナは”人が人と出会う”ことを、困難にさせた。

人は社会に生きるから、これがいかに多くの弊害をもたらしているか。

そして人と人が出会うことが、当たり前のようで実はとても掛け替えのない大切なことであったかを、知らしめた気もします。

 

新しい生活様式や、オンラインを活用することによって補っている部分もあるけれど、人と会うことがときに命に関わる怖いことにもなりうるという感覚は、やっぱりいまも続いていることです。

この感覚がなくなって、もう人と会うのに躊躇しなくても良いんだという感触が得られないと、ほんとうに収束したとは言えないんだろうな。

それはいつの日になるのか。まだ、先の見えないトンネルのなかです。

 

上橋先生のあとがきは、コロナ禍にあるいま、とても励まされるメッセージです。

 

水底の橋

今回のサブタイトルの「水底の橋」は、花部でミラルが父親のラハルと話をしているときに登場します。(ラハルは橋を架ける職人さん)

その前に登場する沈下橋もなかなか面白いのですが、最後に話したのが、水底に沈む橋の話でした。

 

「川底に長く横たわっているものが見えたんだ。ーー沈んだ古い橋の、橋桁だった。(中略)川底を横切ってずっと向こうの対岸まで繋がっていた。橋だった頃の姿を残して、水底で繋がっていたのがな、今も忘れられん」

(P280 第2章 秘境 花部)

 

これは比喩です。

この橋の喩えをどう捉えるかは、むずかしいところです。

 

沈下橋は、まるでミラルのようだなと思いました。

流されていくようで、ちゃんと大事な橋脚は残している。橋というもののかたちに囚われることなく柔軟に対応していく芯の強さ。

 

では、水底の橋はなんだろう。

花部に残る、清心教医術の源流と言われる医術でしょうか。

 

そのようでもあり、それだけではないような気もします。

医術と呼ばれるもののイデアのようなものかなあ。

もともと底には医術のイデアがあって、そこ(there)からそれぞれのかたちで医術を体現している。

 

でも根っこではイデアとして繋がっている。だから共通するところもある。

 

オタワル医術も、清心教医術も、様々な人の思いと策略の甲斐があって(?)、結果的に共に生きる道を歩みはじめました。

 

それぞれに根底の思いは同じで、でも見る角度が違うところもあって、でもずっと突き詰めてやっていくと、どちらも水底の橋に行き着くのかもしてません。

 

これはわたしの考えたひとまずの考えで、他の人は違ったものを連想するだろうと思います。

それはそれで、それが面白くて良いのです。

機会があったら、他の人の意見も聞いてみたいなあ。

 

結び

上橋先生の作品の力強さというか、ボリューム感のすごさで、わたしにはまだまだ語り尽くせない感じです。

個人的には、前作よりもこちらの作品のほうが好き要素が強い。(これは完全に好みの問題)

 

というわけで、またいつか読み返してみると、違った感触が得られるのではないかなと思いました。

 

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