土の匂いがする文章「やがて満ちてくる光の」梨木香歩

小説以外
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梨木香歩さんの、初期の頃からのいろいろなところで書かれた文章の寄せ集めです。

村上春樹さんにも「雑文集」なる本があるけれど、それと似ています。

 

 

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本書について

エッセイというほどのまとまりは持たない、いろんな時期にいろんなところで書かれた文章の数々。

ひとつのまとまりは持っていないのだけれど、大きな流れのなかではその作家個人という存在が、浮かび上がってくるのは、実はこういう何気ない文章の寄せ集めからかもしれません。

 

わたしは梨木香歩さんは前から好きで、ちょこちょことこれまでも小説を読んでいたのだけれど、ちょっとその真摯な姿勢に敬遠する時期もあって、でもトータルで見ると「この作家さんはやっぱり好きだ」と胸を張って言える(というのも変だけれど)好きな小説家さんのひとりだと改めて確信しました。

このブログで梨木さんを取り上げるのは「僕は、そして僕たちはどう生きるか」以来です。

 

 

 

この本そのものというよりは、梨木香歩さん本人に焦点を当てながら、わたしの思うところを今回は取り上げてみます。

(あくまで、小説やエッセイ、本書のようなところで知る梨木さんへのわたしのイメージなので、現実や別の方のイメージとずれることもあるかもしれません)

 

土の匂いを感じる

梨木さんはどことなく、大地に根をしっかりと張った「土の匂い」のする文章を書かれるイメージがあります。

それは自然描写でもそうだし、家事のような日常の描き方でもそうだし、人を描くときにも。

 

それは生きとし生けるものを包み込む大地の優しさもあれば、相反するようにしっかりとそこに存在する大地の厳しさも含まれています。

 

そして、そういう文章に、物語に、こころ惹かれる自分もいれば、そこまでの境地に至れない自分への未熟さから、引いてしまう自分もやはりいます。

 

たぶんこれは、梨木さんという作家さんへの思いだけでなく、自分の自然や人との向き合い方とも繋がっている部分です。

 

例えば本書のなかにも、山菜などを食する描写がよくあって、梨木さんはそのアク抜きまで含めた過程を自然のものをいただく面白味として書かれていますが、わたしは虫も苦手で山菜ももちろん苦手。スーパーで綺麗に陳列されたものしか基本的に普段手に取らない(環境にいる)

 

植物は好きだけれど、どちらかというと神社のような人の手が入っていて人の気配がするくらいの場所がちょうど良い。それは果たして好きと言えるのだろうかと悶々と考えるのです。

 

だからわたしは厳密には土に根差した生活に憧れつつ、そういった生活が送れない人です。

 

でも、やっぱりどこか梨木さんの文章に漂う「土の匂い」に惹かれます。

そうして、そういう梨木さんらしさは、本書の至るところにあって、大学で宗教哲学を専攻されていたこともルーツにあったんだとはじめて知りました。

 

「家の渡り」

本書で特に興味を惹かれた箇所を取り上げておきます。

それは88ページから20数ページにわたるある家との邂逅をめぐるエッセイです。

 

運命的ともいえるある家との出会いを果たし、その家の持ち主だった人物についての巡り合わせ、そして、その家を通して考えたこと、感じたことを、とても綿密に描写されています。

 

結局梨木さんはその家を手に入れることはなかったのですが、そこに至るまでの過程を、とても丁寧に描かれていて、梨木さんらしさが溢れていました。

 

たぶんわたしが特に興味を惹かれたのは、その家のこととか、持ち主のこととか、それにまつわる梨木さんの思考過程ではなくて(もちろんそれも興味深いのだけれど)

ひとつの家との邂逅を通して繰り広げられる、丁寧でゆっくりと進む向き合い方(思索?)です。

 

それは家を買うとか買わないとかそういう二者択一的なものではなく、でも、例えるのなら知の財産として残るような出来事になっている。

 

きっとそういうものは、早く通り過ぎていく世界では見過ごされてしまうもの。

でも、とてもとても大事なものなんだと思う。

 

「沼地にある森を抜けて」のインタビューから

河田桟さんが、「沼地にある森を抜けて」の発売にあたりインタビューされている記事での梨木さんの言葉。

男性性や女性性に関わるものに、この「沼地にある森を抜けて」は違うコンテクストを提供しているというところから。

 

「女性とか男性という言葉以外の何かがないかといつも思うんですけれども。男と競合したり、同じ土俵でやりあっていたのでは、決して質的変換となりません。でも、太陽というよりは月というか、絶対的な強さではなくもっと柔らかいもの、ひたひたとしたもの、なにかそういうものに人が価値を求めて、そちらのほうを指向するようになったらいいと思いますね。」

(p132 生まれいづる、未知の物語から引用)

 

梨木さんは、セクシャルな感じとかはまた違うところで、女性的な文章を書かれる作家さんだなあと思います。(女性なんだからまあそうなんだけど)

 

これは最近ほかのところで思うことがあったのですが、男性原理と同じところで女性が争っても、勝てる見込みは薄いんですよね。そもそも、立つ土俵が違うというか。

そうでなくて、女性には女性の立つフィールドがあって、そこでしか生み出されないものがある。

そういう質的な違いが、これから目を向けるところなんだろうなと思います。

 

(これは、別にLGBTなどのセクシャルマイノリティを排除するものではありません。これもまた、違う質的なフィールドがあるのだと個人的には思います)

 

結び

なんだかとりとめのない感想になってしまいました。

でも書いていて、自分でも新たな気づきが得られました。

わたしはたぶん、現実的に具体的な地に根差す生活は無理だと思う。

憧れはするけれども、虫が苦手だし田舎暮らしはもう絶対に無理。自分でもうんざりするほど都会っ子(でも遠景で山が見えないとそれはそれで嫌という面倒くさい人です)

 

でも、それとは違う質的方向性で、日常をゆっくりと思索すること、丁寧にいろんなものに向き合うこと。

これは努力次第でできるし、自分がやりたいと思うことです。

 

そして、梨木さんはやっぱりわたしが尊敬してやまない大好きな作家さんのひとりなのでした。

これからも、いろんな作品を通して、梨木さんの世界に触れていきたいです。

 

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